Category Archive: 日々の糧

殺戮の日々

殺戮の日々

自分でも訳がわかりませんが、最近養蜂を始めました。そう、ミツバチを飼い始めました。Birds and Beesのハチのほうです。ミツバチの飼育というと何となく素敵なイメージがあります。仕事で世界中を飛び回っていたときも、各地でかならずハチミツを購入していました。そのその国の花の蜜を食らうことで、その土地のナニカを得たような気になれるもので、海外旅行のお土産にハチミツというのは個人的には定番ですし、我が家にはまだ封を切っていないハチミツがたくさんストックされています。ブライアン・ウィルソンは「あの娘の野生の蜂蜜を食べちゃうぞ」とか歌っていましたが、つまりは欲望の象徴とされるのがハチミツの常です。 今回、養蜂を始めたきっかけといっても、自分でとっ捕まえた群をDIYで作った巣箱に放り込んだだけなので、お金はほどんどかけていませんが、「いきものを飼う」ことの責任と「ペットではない」ことの責任は意外なほど自分の行動を変えました。 というのも、まだ飼い始めて一カ月ですが、とにかく生き物を殺しまくっています。 ミツバチの巣箱を襲うスズメバチ、いままではビビって逃げ回っていましたが、今じゃとっ捕まえてバンバン踏みつぶしています。キイロスズメバチはもちろん、オオスズメバチまで。今の時期だと女王蜂しか居ないとは思いますが、とにかくあの重低音の効いた羽音にはいつもビビッてました。オオスズメバチは藤の花が大好きで、阿佐ヶ谷で玄関に咲かせていたときは、怖くて家に入れないなんてことも何度かありました。 巣箱に住み着こうと目論むアリたちも、最初は気にしていなかったのですが、雨が続いてふと見ると巣箱の屋根に巣を形成しつつあり、慌てて卵もろとも殺しました。ガスバーナー最強! とかそういうえげつない手段です。 そして今日は雄ミツバチの蛹を大量に始末しました。捕獲したのは西洋ミツバチと日本ミツバチと二群あるのですが、その西洋ミツバチの捕獲には少し難がありトラブルが発生しました。 ミツバチの分蜂の捕獲というのは宝くじみたいなもので、ほぼ「運」だけがものを言いますが、いざ捕獲したものの、これが西洋ミツバチでした。ところが日本ミツバチの巣箱しか持っておらず、とりあえず日本ミツバチの巣箱に放り込んだのがトラブルの原因でした。ご近所の養蜂家さんに西洋の巣箱をお借りして、そちらに移し替えたのですが、どうしても日本ミツバチの巣箱に戻ってしまう群れと、新しい西洋の巣箱に移動した群れと二つに分かれてしまいました。 その結果が巣箱の地面に広がる大量虐殺の跡です。 蜂の群れは、群れに女王が居ないと、働きバチが勝手に産卵を始めてしまうものです。そして働きバチというのは交尾をしたことがないので、無精生殖で産み付けた卵は必ず雄になります。雄しか産まれません。放っておくと、雄が大量発生して群れは崩壊します。 ご存知の方も多いと思いますが、ミツバチの雄と言うのは「働いたら負け」を地で行くニートです。エサを集めにも行きませんし、産卵管もないので、蜂なのに針すら持っていません。蜂のように刺せないハチ、そんな雄バチの役割は女王との交尾だけ。交尾は飛行しながらするのですが、した途端に死にます(!)。場合によっては飛行する女王の尻に刺さったまま死に、直後にチンコがもげたりもするらしいです。チンコだけになっても精子を送り込み続けるらしいですが。なかなか壮絶です。 つまり、大量のニートを作ってしまったのです。働きバチ(すべて雌)が集めてきた大量の花粉と蜜を数十日たらふく食って、卵から孵化して成長し蛹になり、立派なニートに羽化します。その結果、ぜんぜん巣箱に蜜とか花粉とか溜まってないんですね、酷い話。今日あたりから羽化する計算だったので、ギリギリになりましたが処置しました。具体的な方法はあえて書きませんが、The Texas Chain Saw Massacreですわ。しばらくうどんが食えそうにないです。

 

Les Figue de Barbarie

Les Figue de Barbarie

アルジェリアを旅行したときにさんざ食べましたが、「フィグ・ドゥ・バルバル」と呼んでました。フランスでは「バルバリ」ですね。そしてこれは多摩市。白い壁に映えることったら。まだ実は熟れてませんが。けっこう種が多くてねぇ。食べ過ぎるとお腹が痛くなると脅されて、あとで単語を調べたら「腸閉塞」だとか言われてました。

 

Asparagus

Asparagus

ホワイトアスパラ (ゆで時間10~15分) 状態から日光を当ててグリーンアスパラ(ゆで時間1~2分)に仕立てた場合、硬さはどうなるか試した人はいらっしゃいませんかね。

 

柿 芋 栗 かぼちゃ

柿 芋 栗 かぼちゃ

Beef Fantasy_秋 、良いですよね。 お隣の栗の農園の若い木から、うちの庭に大量に落ちるのを毎年頂戴しています。小さくて売り物にならないから好きに採ってくれとは仰ってくれるのですが、結構な食べ応えがあります。こうして40分ほど蒸して、包丁で真ん中を切ってスプーンで食べるのが毎年の楽しみ。冷蔵庫でしばらく寝かせてから蒸すと甘くて極上の甘味です。 beef fantasy · 秋 Scent of autumn

 

Kintsugi

Kintsugi

引っ越し時に割ってしまった食器がありました。 撮影で行ったフィンランドで購入し、あまりの重さに泣きそうになりながら手荷物で担いできたビンテージの平皿5枚のうち3枚。引っ越しの時に、重ねて包んでいたのをまとめて割られてしまいました。 直そう直そうと思ってはや1年、6月に始めて3カ月、ようやく金継ぎを終えました。 保険の申請をすると、食器を保険会社に持っていかれてしまうのでどうにもなりません。

 

50mmの花びら

50mmの花びら

近所が桜の名所で、皆さん300㎜とか400㎜の長玉を担いで撮りまくってますが、こちとら使いたいのはマキタのブロワーです。バズーカっぽい18Vバッテリーを2個とか使う太いやつ。 桜の季節も終わり、自宅前の桜の木から吹き溜まり、積もり積もって厚さ50㎜。水栓をひねれば花びらが噴出してそうな感じ。エンジンブロワーを持っていたのでこの手の掃除はお手の物でしたが、昨年、見事に焼きつかせて不動になりました。バッテリー式の掃除機は意外と重宝しているので、ブロワーもマキタで揃えたいところです。もちろん撮影にも使うつもりで。

 

ちょっといい話

ちょっといい話

@福生バナナハウス Ahh! Folly Jetのニューシングルとアナログ再発で、Record People Magazineのライター松永さんとの対談を撮影したり、ライブを撮影したりと久々に高井と一緒の時間を過ごしましたが、「ギターを弾くふり」の手ぶり身ぶりが学生時代とまったく変わってなくて「あー」とか思いつつ撮ってました。 上記リンクの「Ahh! Folly Jetを作ったレコードたち」に少しだけ登場させてもらったので少し書き留めておこうと思います。大学で出会ったものの、会うのはほとんど押上で、高井が大学を辞めてマニュエラ初代店長になってからは高円寺で、という感じで大学ではほぼ接点がありませんでした。それでもまあ学生らしく自家用車で引越しをしたり、それを手伝ったりするわけですが、当時乗っていたのが70カローラバンで、荷物を満載した車中で高井は助手席でウクレレ弾いたりして「やりたくない」感を全身でアピールしてたのは今思い出してもイラつきます。 当時は京浜通信やMANUERAといったフリーペーパーの編集をしたり、マニュエラで店番したり値付けしたり、LAに買い付けに行ったりbounceで原稿を書いたりと、どちらかと言うと音楽系ライター/編集者寄りの将来を描いてました。 ところが資料や文献を当たったり裏を取ったりする手間に加えてあまりにも遅筆なのに絶望し、これじゃ食っていけないと手離れの良い仕事は何かと考え、写真に転向した結果、ポツポツと音楽系の仕事を貰えるようになり現在に至ります。中3ぐらいから女の子のエッチなポートレートばかり撮っていたので、今考えると順当だったのかもしれません。マニュエラを辞めて何も考えずにステータスを写真に全振りした結果、カメラマンの専属アシスタントを経てすぐ独立、富ヶ谷に事務所を構えてカラープリントの沼に嵌まり、暇さえあればひたすら暗室に篭る日々を送り、高井はもちろん京浜やマニュエラといった音楽畑から疎遠になるわけです。こうして久々に「何か一緒にやる」のもほんと20年ぶり、実は「Abandoned Songs…」も発売から1年ぐらい経ってから聞いたぐらいのもので、当時のレコ発ライプには行った覚えがありません。

 

豆まきをしなかった

豆まきをしなかった

築80年余り、戦前の古民家から新居に移って、何が良かったかって、まず寒くないこと。冬の朝に起きると吐く息が白い、外から帰ってきて数時間は外出着のまま、ということがなくなりました。もちろん灯油代が毎月2.3万かからない、お湯が沸くのが早い、といった金銭的な面もありますが、ある意味、21世紀になっても戦前ライフを送っていたようなもの。丁寧な暮らしとは別のベクトルで映えていたわけですが。 先週、その旧居が取り壊されたと聞きました。 毎年3月に収穫していた夏ミカンの木も、意外と収穫のあった胡桃の木も、高校生の時に植えた玄関脇の藤も、藤棚ごとなくなりました。こうして文字にしても、意外と感慨が湧かずあっさりとしたものです。夏ミカンぐらいは収穫しておけばよかったかな。 2021年2月2日

 

a dinning table

a dinning table

初夏に作ったアンズのジャムがもう無い 自宅のダイニングテーブルが新しくなりました。181x97x77.5と、脚の長さからしておそらく日本製のビンテージ。うちの車によく載ったなぁ、というビックリな大物。引き出しが4つ付いた、3-40㎏はある木製作業台。一昨日まで原宿の美容院で使われていたもので、堅固な安定感のあるかなりゴツいもの。そしてなんと貰い物。年季の入った汚れが目立っていたので、表面に軽くスケーリングして手垢を落とし、古い雰囲気を残しつつ、チークオイルを何度も塗っては拭き、塗っては拭きを繰り返すとようやくこんな飴色になりました。チークオイルは乾燥が割と早いほうですが、完全に乾く前にいきなりよく冷えた瓶を置いたせいでムラが残る羽目に。この後しっかりオイルを拭き取って塗り直しました。

 

about Amanuma Studio pt.3

about Amanuma Studio pt.3

ずいぶん前にこの古民家で撮った動画です。「ポン酢の作り方」というHow Toは、この動画を上げたころは3本ぐらいしかありませんでしたが、世界中で日本料理が普及してすっかり埋もれてしまいました。 ポン酢といえば夏みかん、夏ミカンの収穫はひな祭りのころ。程よい甘さと強烈な酸味がポン酢に最適です。夏みかんを収穫せずに木生りのまま初夏を迎えると、黄色い実の横で白い花が咲きます。収穫量が落ちるのでおススメしませんが、放っておくと去年の実と今年の実がそのまま生るので「ダイダイ」と言うとか。毎年「新春ひな祭りポン酢大会」と称し、男子禁制の収穫祭をしていました。それにしても豪勢な面子だなぁ、この動画。