Category Archive: エピソード

町田康の「町蔵」の由来

町田康の「町蔵」の由来

昭和40年男の撮影で手土産に「ちゅーる」を持って熱海のご自宅に伺ってきました。2019年「リフォームの爆発」の元ネタになった日本家屋に。思えば町田町蔵がリトルモアから「壊色(EJIKI)」を出したころはまだ自分は日芸の学生でした。周りでは圧倒的に女性に人気で、東京トンガリキッズな女子たちはみんな持ってました。 その後は「町蔵」という名前は日本橋ヨヲコの漫画ぐらいでしか目にしなかったんですが、なんと少女ファイト、連載続いてるんですね。10巻ぐらいで止まってました。 ポートレート撮影をしながら「町蔵」の由来について訊いたんですが、なんとなく同級生の女子あたりから付けられたあだ名なんだろうなと思っていたのですが、意外なことに「自分で考えた」そうで。黒板に日直の名前で自分で書いたら響きがよかったとかなんとか。

 

自作のIQLIGHT

自作のIQLIGHT

だいぶ昔にLAに買い付けに行ってたころ、アンティークファニチャーのお店で目が飛び出るようなお値段で売られていたのがコレでした。手に取ってマジマジと見ていたら、お店の人がショップカードをくれたのですが、その裏に描かれていたのがこのIQLIGHTモジュールの型紙(テンプレート)でした。 帰国してさっそく作ってみたのがこの写真のランプシェード。実際の2/3サイズで型紙を起こして1.5㎜厚の腰の強いポリウレタンで作ってみました。裁断も含めて1日もかからなかった気がします。同じモジュールを使って30枚組、60枚組、120枚組とサイズを替えらえる仕様です。 もっとも、その型紙自体がその昔のデザイン誌に載っていたものなので、手先が器用なら誰でも作れました。そのデザイン誌で24面体とか18面体とか22通りの組み合わせができることを知りました。白熱電球だとシェードが溶けるので、LED電球を使いましたが、そのころのLEDの電球は熱がこもると良く切れるものが多かった覚えがあります。 1972年にデンマークのデザイナー・Holger Strømが発表したこのIQLIGHT、1999年に再発されるまでは激レアでしたが、今ではパテントが切れて中国製が出回っています。 ヴィンセント・ギャロがBuffalo ’66(’98)のプロモーションで来日したときに使って撮ったので、その頃は自慢の一品でしたが、「友達の家にもあった」とあまり珍しくもない感じでした。撮影中隅っこにいたグルーピーっぽい女の子が食いついて、やたらと欲しがっていたのをよく覚えています。

 

心の ししおどし

心の ししおどし

馬を繋ぐ棒。いわゆる綱木。 4年ほど前、南仏の山奥で農家に民泊したときに、 朝もやの中、庭を散歩していたら、ありました。 ここには馬はいないのだけれども、しっかりと縄目が残っていて、 使われていた感がありました。   ところが、朝食時にオーナーに聞いたら、ん? そんなのありましたっけ? と言われてしまう。あとでオーナーが自慢の庭を案内してくれるというので、一緒に見に行ってみると   「ああ、これは私がこの農家を買い取る前から立っていたものです」 「馬を繋ぐものだったんですね」   今年になってその民泊のサイトを覗いてみたところ、馬を飼い始めた様子があり、予約状況を見るかぎり大変繁盛している様子。我々が泊まった時は、他に誰も客がいなかったし、一カ月まるまる空室になっていたのに。 オーナーの男性が自ら不器用に朝食を作っているさま、お世辞にもおいしくなかったシャンピニオンのオムレツの味を思い出しました。夜も明ける前にバゲットを買いに出て、古いボルボで戻ってきたのを部屋の窓から見て「民泊って大変だなぁ」と思ったものです。   そして、そのサイトにはいくつもの美しい庭の写真とともに、この綱木に軽く背を凭れたオーナーの姿がありました。その傍らには立派な馬が二頭。 白馬と栗毛。 その下にこうありました。 「私は馬を愛し、馬とともに人生を歩んできました。」     石黒正数さんの漫画みたいな話ですが。 「岩崎家に」 「ししおどしは ない」 「そもそも池がない」 「これは お父さんの心象風景―」 「心の ししおどし」  

 

pétanque

pétanque

日本だとゲートボールなのかもしれないけど、同じような位置にあるスポーツ、ペタンク。 坂の多い市街地の中、坂と坂の間の、踊り場のようなところに小さな公園があって、そこでペタンクを楽しむ老人たちがいた。 熱の入ったゲームが続いている中、ある老人が投げた瞬間に、的との間に子供が変なポーズを取りながら走り込んできて、その子の膝に鉄の球が命中してしまった。 当たった瞬間、子供はびっくりしたような表情を見せ、次いで、しまった! という表情に、そして少し間があって、初めて痛みに気づいたらしく、猛然と泣き声をあげ、地面を転げまわっている。 球を投げた老人は、どうしたことか、彼も同じように膝を抱えてうずくまり、声を上げて動かなくなってしまった。 近くにいた女性がが子供に駆け寄り、心配そうにその子に声をかける。 ゲームに熱中していた老人たちは、心配そうでいながらも、若干水を差されたことに対する不快感を隠そうともせず、周りの人と「どうしてこんな不幸が起きるのか」と嘆いている。ペチュニアの葉を毟ったような青臭いいやな匂いが、見ているこちらにも伝わってくる。 対戦相手の老人が、的のボールに寄り、何か声を出しながらボールをゆっくり踏んだ。「ノーゲーム」ということだろうか。うずくまっていた老人が少し首を振ったように見えた。   しばらくしてようやく立ち上がった老人に、少しびっこを引きながら、その子が謝る姿が見えた。要はその一角はペタンク専用スペースで、ふざけてとは言え、飛び込んできたその子が悪い、ということらしい。 そうこうしているうちに、子供と老人は一緒に下り坂の方へゆっくりと、一歩一歩気遣いながら歩き始めた。やはり家族だったようだ。 その二人の前に、黒い猫が走り出て、何か言いたげに立ち止まり、小さく鳴き声をあげた。 子供が少し笑った姿が見えた。

 

The End of Summer 2016

The End of Summer 2016

  8月の末、台風10号が東北地方に上陸して猛威を振るうなか、仕事帰りにお台場に寄ったら面白い絵が拾えました。さすがにこの天気、ポケモン狩りの人すらほとんど居ない海浜公園、何故か女子高生が2人、海に入って踊っています。誰もいない海浜公園という絵そのものがレアですが、対岸の品川埠頭が霞んでいるのを見れば判るように、かなりの雨が降っています。海に友達と来た! でもあいにくの雨、でも入るんだよ、海に! というデタラメな勢いこそ大切にしたいものです。 体育祭のダンスの振り付けでも決めてるんだろうなぁ、これは美味しい、とバンバン撮ってみました。まあ実際や本当のところは分かりませんが、一枚の絵から色々なドラマや物語を想像させられてしまう幾つもの「種」が詰まっている状況、それを「美味しい」と評してしまう自分に対して僅かながらの嫌悪感と、満腹感に似た悦びを手に帰路に付きました。 こういう光景に割り込める大人になったのを喜ぶべきか、否かというところはさて置き、最初はシュガー・ベイブの「夏の終わりに」にでも乗せようかと思ってましたが、あまりに元気が良すぎるので「つるべ落としの秋の始まり」でもないかと思い直して、かと言って「海に行くつもりじゃなかった」という訳でもないので、最終的にトロンリミックスのBang-Bangに乗せてみました。