二階から
くだらないことばかりしている気がする
馬を繋ぐ棒。いわゆる綱木。 4年ほど前、南仏の山奥で農家に民泊したときに、 朝もやの中、庭を散歩していたら、ありました。 ここには馬はいないのだけれども、しっかりと縄目が残っていて、 使われていた感がありました。 ところが、朝食時にオーナーに聞いたら、ん? そんなのありましたっけ? と言われてしまう。あとでオーナーが自慢の庭を案内してくれるというので、一緒に見に行ってみると 「ああ、これは私がこの農家を買い取る前から立っていたものです」 「馬を繋ぐものだったんですね」 今年になってその民泊のサイトを覗いてみたところ、馬を飼い始めた様子があり、予約状況を見るかぎり大変繁盛している様子。我々が泊まった時は、他に誰も客がいなかったし、一カ月まるまる空室になっていたのに。 オーナーの男性が自ら不器用に朝食を作っているさま、お世辞にもおいしくなかったシャンピニオンのオムレツの味を思い出しました。夜も明ける前にバゲットを買いに出て、古いボルボで戻ってきたのを部屋の窓から見て「民泊って大変だなぁ」と思ったものです。 そして、そのサイトにはいくつもの美しい庭の写真とともに、この綱木に軽く背を凭れたオーナーの姿がありました。その傍らには立派な馬が二頭。 白馬と栗毛。 その下にこうありました。 「私は馬を愛し、馬とともに人生を歩んできました。」 石黒正数さんの漫画みたいな話ですが。 「岩崎家に」 「ししおどしは ない」 「そもそも池がない」 「これは お父さんの心象風景―」 「心の ししおどし」
日本だとゲートボールなのかもしれないけど、同じような位置にあるスポーツ、ペタンク。 坂の多い市街地の中、坂と坂の間の、踊り場のようなところに小さな公園があって、そこでペタンクを楽しむ老人たちがいた。 熱の入ったゲームが続いている中、ある老人が投げた瞬間に、的との間に子供が変なポーズを取りながら走り込んできて、その子の膝に鉄の球が命中してしまった。 当たった瞬間、子供はびっくりしたような表情を見せ、次いで、しまった! という表情に、そして少し間があって、初めて痛みに気づいたらしく、猛然と泣き声をあげ、地面を転げまわっている。 球を投げた老人は、どうしたことか、彼も同じように膝を抱えてうずくまり、声を上げて動かなくなってしまった。 近くにいた女性がが子供に駆け寄り、心配そうにその子に声をかける。 ゲームに熱中していた老人たちは、心配そうでいながらも、若干水を差されたことに対する不快感を隠そうともせず、周りの人と「どうしてこんな不幸が起きるのか」と嘆いている。ペチュニアの葉を毟ったような青臭いいやな匂いが、見ているこちらにも伝わってくる。 対戦相手の老人が、的のボールに寄り、何か声を出しながらボールをゆっくり踏んだ。「ノーゲーム」ということだろうか。うずくまっていた老人が少し首を振ったように見えた。 しばらくしてようやく立ち上がった老人に、少しびっこを引きながら、その子が謝る姿が見えた。要はその一角はペタンク専用スペースで、ふざけてとは言え、飛び込んできたその子が悪い、ということらしい。 そうこうしているうちに、子供と老人は一緒に下り坂の方へゆっくりと、一歩一歩気遣いながら歩き始めた。やはり家族だったようだ。 その二人の前に、黒い猫が走り出て、何か言いたげに立ち止まり、小さく鳴き声をあげた。 子供が少し笑った姿が見えた。
早春のメキシコで。入山届を書き、馬に乗って山道を一時間ほど揺られて、たどり着いたのがモナルカ蝶の聖地。標高が高いので、日本から渡墨したばかりで訪れると、ちょっと歩いただけで息切れしてしまいます。メキシコで越冬し、春から夏にかけ、花が咲き乱れるのに合わせて順に北米大陸を北上し、何世代も経てカナダに到着します。そして、秋にジェット気流に乗って一気にメキシコに戻ってきます。 この小さな冒険者たちに、地元の人はあまり興味が無いようで、いまだに毎年のように新しい聖地が発見されています。まったく観光地化されていない聖地もたくさんあります。メキシコシティから車を走らせて丸一日でたどり着く距離ですが、入山届のノートを見る限り、ここに来た客は1週間ぶり。この世のものとは思えない光景を目にし、地球の裏側という距離も何のその、一時期は毎年のように訪れていました。 メキシコも日本同様、地震大国で、85年の大地震では1万人近くの人が犠牲になったと聞いています。メキシコシティは昔は湖に浮かぶ島を干拓と排水によって陸地化した経緯があり、地震が起きると液状化現象が起きてしまうとのこと。多くの子どもたちが犠牲になり、その教訓から、学校や公共施設は耐震・免振化を率先して進めてきました。とはいえ、一般家屋はまだまだ鉄筋も入っていない、ブロックを積み上げただけのものが多く、今回の地震でも建物が倒壊し多くの人が犠牲になりました。ニュースの動画を見ると、建物の倒壊とみられる粉塵が点々と舞い上がっていて、被害の大きさを物語っております。よく見ると帯状に広がっており、地盤の緩いところが一目瞭然です。 日本ではあっさりとニュースで流される程度ですが、4つの州に広範囲で大きな地震が2回起き、まだ余震も続き、人的リソースが足りていない感があります。311のときにはメキシコからも多くの寄付を頂戴している日本から、少しでも恩返しができればと感じます。メキシコ赤十字cruzrojadonaciones.orgに寄付サイトが開設されているので、こちらから支援をお願いいたします。災害救助活動を行うwww.topos.mxにもありますが、こちらはPaypal専用になります。JPアカウントはPaypal経由で海外に寄付できない仕様なので、日本以外のアカウントをお持ちの方はこちらからぜひワンコの餌のご協力をお願いいたします。
glensmith 2nd album グレンスミス家、イギリスからフランスへ。萩尾望都的にはドイツですが、細かいことは気にしない。 2nd albumが8月20日に発売です。 ジャケの写真はオンフルールというフランスの港町にある、海のそばの廃墟になった馬小屋です。 子供のころ、この家の2階に住んでいました。その頃はもう既に馬小屋ではなく、 1階の馬房にはビリヤード台、それもポケットの無いやつがドンと地面に置かれていました。 この建物の二階、というか屋根裏に部屋が3つあり、短い間ですが、そこに家族で住んでおりました。 窓には真っ赤なゼラニウムの鉢がずらりと並んで壮観だったのをよく覚えています。 この建物のある敷地には、大きな母屋があって、朝食はその建物の1階の食堂で食べていました。 そちらのほうは現在はマナーハウスになっており、泊まることもできますので、 旅行でモン・サン・ミッシェルに行った帰りに泊まるとか、ジベルニーからちょっと足を伸ばすとか、 そんな感じで行ってみてはいかがでしょうか。オンフルールは鄙びた港町で、ココ・シャネルの 映画でも疎開地として描かれてました。 お隣の街、ドーヴィルは高級リゾート地として知られていますが、こちらはいい感じに鄙びていて 長期滞在には最適です。 メキシコ西海岸に行った時も、超高級リゾート、イスタパの隣の鄙びた田舎町、シワタネホに 長いこと滞在しましたが、それぐらいの温度が性に合っているようです。 ホテルはこちら。 Le Manoir des Impressionnistes
モネの庭を訪れたときに泊まったジヴェルニーの宿。セーヌ川を挟んだ対岸にあるので車がないとどうにもならない所だがぜひ一度泊まって欲しい。ちなみに寝室を改造したときはこの宿の寝室を大いに参考にしました。主人は道楽者で、明日はオンフルールに向かうと言ったら、オンフルールのお勧めのレストランをスラスラと教えてくれた。その上安くて旨くて外れなし。http://lesjardinsduval.fr/ ちなみにカメラ日和52号に「パリへ。30年ぶりの里帰り」という珍道中記が載っているので興味がありましたらご覧ください。
モデル:Poppy(Select Models UK) ロンドン撮影。グレンスミスのロマンアルバムのジャケットに登場しているのはこの子。youtubeで本名で検索すると学校の教室で制服姿で歌っている動画がいくつも転がってる。中学生、聡明な14歳だったりする。
イギリスでカタログ撮影したロコジュリのシューティングに、このアルバムのためにあったかのようなカットが。色々なことに恵まれこのような形に。中のブックレットも萩尾望都ワールドです。デザイナーは図書館に引き続き大岡くん。
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