Category Archive: 撮影

町田康の「町蔵」の由来

町田康の「町蔵」の由来

昭和40年男の撮影で手土産に「ちゅーる」を持って熱海のご自宅に伺ってきました。2019年「リフォームの爆発」の元ネタになった日本家屋に。思えば町田町蔵がリトルモアから「壊色(EJIKI)」を出したころはまだ自分は日芸の学生でした。周りでは圧倒的に女性に人気で、東京トンガリキッズな女子たちはみんな持ってました。 その後は「町蔵」という名前は日本橋ヨヲコの漫画ぐらいでしか目にしなかったんですが、なんと少女ファイト、連載続いてるんですね。10巻ぐらいで止まってました。 ポートレート撮影をしながら「町蔵」の由来について訊いたんですが、なんとなく同級生の女子あたりから付けられたあだ名なんだろうなと思っていたのですが、意外なことに「自分で考えた」そうで。黒板に日直の名前で自分で書いたら響きがよかったとかなんとか。

 

evoon store

evoon store

昨年末から半年がかりでモデルのキャスティング込みで写真を撮らせていただきました。撮りたいモデルを提案して撮らせてもらえるのは有難く、前日はワクワクしてとても楽しみでした。 もうすぐevoonさんからカメラバッグが発売される予定で、試作品を手に色々とアイデアを出させて頂きました。それもまた楽しみです。https://www.evoon.store/

 

自作のIQLIGHT

自作のIQLIGHT

だいぶ昔にLAに買い付けに行ってたころ、アンティークファニチャーのお店で目が飛び出るようなお値段で売られていたのがコレでした。手に取ってマジマジと見ていたら、お店の人がショップカードをくれたのですが、その裏に描かれていたのがこのIQLIGHTモジュールの型紙(テンプレート)でした。 帰国してさっそく作ってみたのがこの写真のランプシェード。実際の2/3サイズで型紙を起こして1.5㎜厚の腰の強いポリウレタンで作ってみました。裁断も含めて1日もかからなかった気がします。同じモジュールを使って30枚組、60枚組、120枚組とサイズを替えらえる仕様です。 もっとも、その型紙自体がその昔のデザイン誌に載っていたものなので、手先が器用なら誰でも作れました。そのデザイン誌で24面体とか18面体とか22通りの組み合わせができることを知りました。白熱電球だとシェードが溶けるので、LED電球を使いましたが、そのころのLEDの電球は熱がこもると良く切れるものが多かった覚えがあります。 1972年にデンマークのデザイナー・Holger Strømが発表したこのIQLIGHT、1999年に再発されるまでは激レアでしたが、今ではパテントが切れて中国製が出回っています。 ヴィンセント・ギャロがBuffalo ’66(’98)のプロモーションで来日したときに使って撮ったので、その頃は自慢の一品でしたが、「友達の家にもあった」とあまり珍しくもない感じでした。撮影中隅っこにいたグルーピーっぽい女の子が食いついて、やたらと欲しがっていたのをよく覚えています。

 

二階から

二階から

くだらないことばかりしている気がする

 

Magazine #001を公開しました

Magazine #001を公開しました

001 “Fourteen” model: 蒲田優惟人 03/29公開https://sakamotobros.com/magazine

 

ちょっといい話

ちょっといい話

@福生バナナハウス Ahh! Folly Jetのニューシングルとアナログ再発で、Record People Magazineのライター松永さんとの対談を撮影したり、ライブを撮影したりと久々に高井と一緒の時間を過ごしましたが、「ギターを弾くふり」の手ぶり身ぶりが学生時代とまったく変わってなくて「あー」とか思いつつ撮ってました。 上記リンクの「Ahh! Folly Jetを作ったレコードたち」に少しだけ登場させてもらったので少し書き留めておこうと思います。大学で出会ったものの、会うのはほとんど押上で、高井が大学を辞めてマニュエラ初代店長になってからは高円寺で、という感じで大学ではほぼ接点がありませんでした。それでもまあ学生らしく自家用車で引越しをしたり、それを手伝ったりするわけですが、当時乗っていたのが70カローラバンで、荷物を満載した車中で高井は助手席でウクレレ弾いたりして「やりたくない」感を全身でアピールしてたのは今思い出してもイラつきます。 当時は京浜通信やMANUERAといったフリーペーパーの編集をしたり、マニュエラで店番したり値付けしたり、LAに買い付けに行ったりbounceで原稿を書いたりと、どちらかと言うと音楽系ライター/編集者寄りの将来を描いてました。 ところが資料や文献を当たったり裏を取ったりする手間に加えてあまりにも遅筆なのに絶望し、これじゃ食っていけないと手離れの良い仕事は何かと考え、写真に転向した結果、ポツポツと音楽系の仕事を貰えるようになり現在に至ります。中3ぐらいから女の子のエッチなポートレートばかり撮っていたので、今考えると順当だったのかもしれません。マニュエラを辞めて何も考えずにステータスを写真に全振りした結果、カメラマンの専属アシスタントを経てすぐ独立、富ヶ谷に事務所を構えてカラープリントの沼に嵌まり、暇さえあればひたすら暗室に篭る日々を送り、高井はもちろん京浜やマニュエラといった音楽畑から疎遠になるわけです。こうして久々に「何か一緒にやる」のもほんと20年ぶり、実は「Abandoned Songs…」も発売から1年ぐらい経ってから聞いたぐらいのもので、当時のレコ発ライプには行った覚えがありません。

 

about Amanuma Studio pt.2

about Amanuma Studio pt.2

日本人ならやっぱ風呂だよねぇ、って、なろう小説的なことを言いますが、この家のお風呂場は土間付きです。つまり外から直接お風呂場に入れます。この家のリノベーションの参考にした、小金井公園にある「旧小出邸」なんかもお風呂場に勝手口が付いています。というか、昔の家はだいたいそうです。水を汲むのも火を起こすのも外から。なので井戸はお風呂場の脇に掘られるのが基本です。今は脱衣所になっていますが、脱衣所の床は簡単に外せるようになっていて、井戸ポンプのメンテナンスはそこからしていました。このあたりは浅井戸でどこを掘っても水が出るようです。地名が杉並区天沼ですし。残念ながら井戸需要の低下とともに水量が減り、乾季の影響で毎年1~4月は枯れていました。 朝の光が風呂場に入るのは夏で7時~9時ぐらいまで。朝風呂は極上の贅沢でした。小ぶりな日本仕様の猫足のバスタブはサンワカンパニー製。あまりに軽いので土間コンにアンカーを打って固定しました。シャワー水栓は謎の中国製の安物。2年でホースの蛇腹が切れ、セラミックバルブは5年ぐらいで漏るので要交換でした。 土間付き風呂、もし大型犬を飼っていたらその利点を享受できたのかもしれません。農作業で汚れた体で玄関を汚さず、お風呂場に直行できたそのメリットも、その当時だと犬は「畜生」であって、家に上げるものではなかったかもしれませんが。 もともと内釜式の風呂が入っていましたが、ガス・上水配管もろとも撤去し、土間コンを打ち直したりタイルを張ったり、朽ちた壁の羽目板を貼り替えたりと大がかりなリノベでしたが、大物を発注するとやる気も高まるもので、給湯器の交換も含めて1週間ぐらいで仕上げました。ちなみにバスタブは35㎏とめっちゃ軽量でおススメです。なお、網戸ははめ殺しにしていますが、ネジ2本で簡単に外れるようにしてあります。 ※古民家スタジオは閉鎖いたしました。ご利用いただきありがとうございました。

 

about amanuma studio pt.1

about amanuma studio pt.1

天沼古民家スタジオ、こまごまとした所を紹介してみます。「天沼」はアマヌマと読みますが、ローマ字表記にすると上の通り。なんかデザインしやすそうな字面です。 まずは自分で設計施工した玄関脇の石畳。打ち水して木漏れ日が入ると良い感じ、物撮りで使おうと思っていたのですが、落ち葉とか溜まって面倒でした。気に入ってますが、誰も気づいてくれません。 20年近くも住んでいたので、こうした細かいところに手をかけています。この真上になる藤棚も3回ぐらい作り直しています。 4月下旬は毎年こんな感じで藤の花が満開でした。クマバチが大量に押し寄せるのが難。 さてスタジオですが、撮影のために作ったものが色々あります。中でもこの大レフ板。サブロクの板をつぎ足した、2.4m高のレフ。もちろん屏風蝶番で白黒反転できます。 240×90幅のレフ。17畳程度の部屋に置くのはちょっとアレですね。 人物全体を光で囲んだフラット光源、化粧品の広告以外でも、また流行りが来ていますね。影を全く作らないライティングというのはそれなりに需要がありますので、大変重宝しています。自社スタ備品とは言え10年使ってますので、けっこうボロボロです。邪魔なときはブルーシートを被せて外に放置していました。もちろん自作です。蛍光剤が入っていない白ペンキ、カンペのSW20をレフ版の内側に塗っていますが、一斗缶でしか買えなかったので、余った塗料は屋内にも色々使っています。加えて3×6のカポックも4枚ぐらいは常備しています。 ちなみにこの部屋の床は、無垢のヒノキや杉材を自分でプレナー掛けしてから表面を荒らして貼って塗ってます。あえて厚みの違う板をミックスして凸凹に仕上げて陰影を出しました(ルンバが問題なく走れる程度には)。もうアホみたいに時間をかけました。 ※古民家スタジオは閉鎖いたしました。ご利用いただきありがとうございました。

 

OTOE + Figue

OTOE + Figue

告知が遅くなりましたが、ゴールデンウイークまで恵比寿のfigueでotoeのポップアップショップが展開中。@otoelogy & @figuehair の写真を展示しています。大判ポスター出力というのも迫力があって良いのです。あとでパネル張りにしよう。 model: Maria

 

danaus.plexippus

danaus.plexippus

早春のメキシコで。入山届を書き、馬に乗って山道を一時間ほど揺られて、たどり着いたのがモナルカ蝶の聖地。標高が高いので、日本から渡墨したばかりで訪れると、ちょっと歩いただけで息切れしてしまいます。メキシコで越冬し、春から夏にかけ、花が咲き乱れるのに合わせて順に北米大陸を北上し、何世代も経てカナダに到着します。そして、秋にジェット気流に乗って一気にメキシコに戻ってきます。 この小さな冒険者たちに、地元の人はあまり興味が無いようで、いまだに毎年のように新しい聖地が発見されています。まったく観光地化されていない聖地もたくさんあります。メキシコシティから車を走らせて丸一日でたどり着く距離ですが、入山届のノートを見る限り、ここに来た客は1週間ぶり。この世のものとは思えない光景を目にし、地球の裏側という距離も何のその、一時期は毎年のように訪れていました。 メキシコも日本同様、地震大国で、85年の大地震では1万人近くの人が犠牲になったと聞いています。メキシコシティは昔は湖に浮かぶ島を干拓と排水によって陸地化した経緯があり、地震が起きると液状化現象が起きてしまうとのこと。多くの子どもたちが犠牲になり、その教訓から、学校や公共施設は耐震・免振化を率先して進めてきました。とはいえ、一般家屋はまだまだ鉄筋も入っていない、ブロックを積み上げただけのものが多く、今回の地震でも建物が倒壊し多くの人が犠牲になりました。ニュースの動画を見ると、建物の倒壊とみられる粉塵が点々と舞い上がっていて、被害の大きさを物語っております。よく見ると帯状に広がっており、地盤の緩いところが一目瞭然です。 日本ではあっさりとニュースで流される程度ですが、4つの州に広範囲で大きな地震が2回起き、まだ余震も続き、人的リソースが足りていない感があります。311のときにはメキシコからも多くの寄付を頂戴している日本から、少しでも恩返しができればと感じます。メキシコ赤十字cruzrojadonaciones.orgに寄付サイトが開設されているので、こちらから支援をお願いいたします。災害救助活動を行うwww.topos.mxにもありますが、こちらはPaypal専用になります。JPアカウントはPaypal経由で海外に寄付できない仕様なので、日本以外のアカウントをお持ちの方はこちらからぜひワンコの餌のご協力をお願いいたします。