Category Archive: 日々の糧

about Amanuma Studio pt.2

about Amanuma Studio pt.2

日本人ならやっぱ風呂だよねぇ、って、なろう小説的なことを言いますが、この家のお風呂場は土間付きです。つまり外から直接お風呂場に入れます。この家のリノベーションの参考にした、小金井公園にある「旧小出邸」なんかもお風呂場に勝手口が付いています。というか、昔の家はだいたいそうです。水を汲むのも火を起こすのも外から。なので井戸はお風呂場の脇に掘られるのが基本です。今は脱衣所になっていますが、脱衣所の床は簡単に外せるようになっていて、井戸ポンプのメンテナンスはそこからしていました。このあたりは浅井戸でどこを掘っても水が出るようです。地名が杉並区天沼ですし。残念ながら井戸需要の低下とともに水量が減り、乾季の影響で毎年1~4月は枯れていました。 朝の光が風呂場に入るのは夏で7時~9時ぐらいまで。朝風呂は極上の贅沢でした。小ぶりな日本仕様の猫足のバスタブはサンワカンパニー製。あまりに軽いので土間コンにアンカーを打って固定しました。シャワー水栓は謎の中国製の安物。2年でホースの蛇腹が切れ、セラミックバルブは5年ぐらいで漏るので要交換でした。 土間付き風呂、もし大型犬を飼っていたらその利点を享受できたのかもしれません。農作業で汚れた体で玄関を汚さず、お風呂場に直行できたそのメリットも、その当時だと犬は「畜生」であって、家に上げるものではなかったかもしれませんが。 もともと内釜式の風呂が入っていましたが、ガス・上水配管もろとも撤去し、土間コンを打ち直したりタイルを張ったり、朽ちた壁の羽目板を貼り替えたりと大がかりなリノベでしたが、大物を発注するとやる気も高まるもので、給湯器の交換も含めて1週間ぐらいで仕上げました。ちなみにバスタブは35㎏とめっちゃ軽量でおススメです。なお、網戸ははめ殺しにしていますが、ネジ2本で簡単に外れるようにしてあります。

 

about amanuma studio pt.1

about amanuma studio pt.1

天沼古民家スタジオ、こまごまとした所を紹介してみます。「天沼」はアマヌマと読みますが、ローマ字表記にすると上の通り。なんかデザインしやすそうな字面です。 まずは自分で設計施工した玄関脇の石畳。打ち水して木漏れ日が入ると良い感じ、物撮りで使おうと思っていたのですが、落ち葉とか溜まって面倒でした。気に入ってますが、誰も気づいてくれません。 20年近くも住んでいたので、こうした細かいところに手をかけています。この真上になる藤棚も3回ぐらい作り直しています。 4月下旬は毎年こんな感じで藤の花が満開でした。クマバチが大量に押し寄せるのが難。 さてスタジオですが、撮影のために作ったものが色々あります。中でもこの大レフ板。サブロクの板をつぎ足した、2.4m高のレフ。もちろん屏風蝶番で白黒反転できます。 240×90幅のレフ。17畳程度の部屋に置くのはちょっとアレですね。 人物全体を光で囲んだフラット光源、化粧品の広告以外でも、また流行りが来ていますね。影を全く作らないライティングというのはそれなりに需要がありますので、大変重宝しています。自社スタ備品とは言え10年使ってますので、けっこうボロボロです。邪魔なときはブルーシートを被せて外に放置していました。もちろん自作です。蛍光剤が入っていない白ペンキ、カンペのSW20をレフ版の内側に塗っていますが、一斗缶でしか買えなかったので、余った塗料は屋内にも色々使っています。加えて3×6のカポックも4枚ぐらいは常備しています。 ちなみにこの部屋の床は、無垢のヒノキや杉材を自分でプレナー掛けしてから表面を荒らして貼って塗ってます。あえて厚みの違う板をミックスして凸凹に仕上げて陰影を出しました(ルンバが問題なく走れる程度には)。もうアホみたいに時間をかけました。

 

Tokyo Blossom 2020

Tokyo Blossom 2020

街に人の姿が減ると、撮る人はどうしても街に出かけてしまいます。

 

Toyosu Fish Market block 6

Toyosu Fish Market block 6

開場まであと3日。築地から豊洲に移動したターレーで場内を探検中。 お客さんの駐車場の把握、トラックのルート、行けるところ、行けないところ、とにかくみんな走り回って地理を把握しようと必死です。そして「やっちゃ場(青果市場)が遠い」と口々に。この仲卸のある6街区と、全体が巨大な冷蔵庫になっている水産卸のある7街区は、道路の下に通路があって繋がって行き来しやすいのですが、青果部の5街区だけは環状二号線の向こう側。一度道路に出ないといけない場所にあります。7街区駐車場との境にはターレー用の消毒液マットがありましたが、すでに踏まれまくって思いっきり波打ってました。 それぞれの地街区を巡回するバスもあるのですが(なぜか大型観光バス)ちょっと不便そうです。テクテク歩いていると「乗ってけ乗ってけ」とターレーの荷台に相乗りさせてもらいました。5街区ではすでにダンボールが山積み、仲卸さんも商品を並べていて「野菜が乾くぞ」という声もちらほら。完全空調の対策も必要なようです。たくさんの課題が山積みですが、もう止まりません。

 

Toyosu Fish Market block 7

Toyosu Fish Market block 7

  開場まであと3日。築地から豊洲に移動したターレーで場内を探検中。 水産卸では築地と同じように分電盤が柱ごとにあり、ターレーが充電中。仲卸さんのところには店舗ごとにコンセントが生えてます。場内は「電気ターレーのみ使用可」と張り紙がありましたので、LPG仕様のフォークは入れないっぽいです。そのかわり大量の新車のトヨタのフォークリフトが並んでいました。

 

電話の先の、その人に伝えたい光景。

電話の先の、その人に伝えたい光景。

桜吹雪。高井戸インターで降りて渋滞に巻き込まれた今日。 晴れが続いたせいで、桜も桃もレンギョウもキブシも黄梅も慌てて一斉に咲いてしまって、ちょっと勿体ない今年の気象。かと思えば毎年2月に枯れる我が家の井戸も、例年より3週間早く渇水から復活。

 

Kibushi

Kibushi

かなり本気でスタジオ物件を探してます。

 

danaus.plexippus

danaus.plexippus

早春のメキシコで。入山届を書き、馬に乗って山道を一時間ほど揺られて、たどり着いたのがモナルカ蝶の聖地。標高が高いので、日本から渡墨したばかりで訪れると、ちょっと歩いただけで息切れしてしまいます。メキシコで越冬し、春から夏にかけ、花が咲き乱れるのに合わせて順に北米大陸を北上し、何世代も経てカナダに到着します。そして、秋にジェット気流に乗って一気にメキシコに戻ってきます。 この小さな冒険者たちに、地元の人はあまり興味が無いようで、いまだに毎年のように新しい聖地が発見されています。まったく観光地化されていない聖地もたくさんあります。メキシコシティから車を走らせて丸一日でたどり着く距離ですが、入山届のノートを見る限り、ここに来た客は1週間ぶり。この世のものとは思えない光景を目にし、地球の裏側という距離も何のその、一時期は毎年のように訪れていました。 メキシコも日本同様、地震大国で、85年の大地震では1万人近くの人が犠牲になったと聞いています。メキシコシティは昔は湖に浮かぶ島を干拓と排水によって陸地化した経緯があり、地震が起きると液状化現象が起きてしまうとのこと。多くの子どもたちが犠牲になり、その教訓から、学校や公共施設は耐震・免振化を率先して進めてきました。とはいえ、一般家屋はまだまだ鉄筋も入っていない、ブロックを積み上げただけのものが多く、今回の地震でも建物が倒壊し多くの人が犠牲になりました。ニュースの動画を見ると、建物の倒壊とみられる粉塵が点々と舞い上がっていて、被害の大きさを物語っております。よく見ると帯状に広がっており、地盤の緩いところが一目瞭然です。 日本ではあっさりとニュースで流される程度ですが、4つの州に広範囲で大きな地震が2回起き、まだ余震も続き、人的リソースが足りていない感があります。311のときにはメキシコからも多くの寄付を頂戴している日本から、少しでも恩返しができればと感じます。メキシコ赤十字cruzrojadonaciones.orgに寄付サイトが開設されているので、こちらから支援をお願いいたします。災害救助活動を行うwww.topos.mxにもありますが、こちらはPaypal専用になります。JPアカウントはPaypal経由で海外に寄付できない仕様なので、日本以外のアカウントをお持ちの方はこちらからぜひワンコの餌のご協力をお願いいたします。

 

TAMAZUKURI Miso

TAMAZUKURI Miso

“玉造り”は煮豆をつぶして円柱状の味噌玉を造り、蔵付きの酵母・乳酸菌を付けて熟成させた後に、麹・塩と混ぜて仕込む古式技法。熟成期間も1年以上と長く、手間がかかるため、量産には不向きです。信州中野の加賀屋醸造さんは、昔は醤油もやっていたそうですが、麹が違うので味噌一本に絞って止めてしまったとのこと。長野の醤油を制覇しようと、県内の醤油蔵を何年も巡っている身には悔しいところです。その逆で味噌を止めて、醤油一本に絞ったのが佐久の相馬醤油さん。似たようなもんと言われてしまうみそ・しょうゆですが、このご時世に両立させるのは難しいのかもしれません。

 

Normandie

Normandie

100年前の日本の海女の写真というのがフランスのサイトに上がってまして、撮ったのが岩瀬禎之氏。 「海女の群像」の写真集シリーズのもののようなので、正しくは1931-64年のものです。 千葉の御宿で延々と撮りためた海女の写真たちなのですが、まあ当時はおっぱい丸出しのパンツ一丁、男に至ってはフンドシやらフルチンやら。あっけらかんとした生活の中の健康美、失われたライフスタイル・・・と思いきや、いかにも「肉体美」「ヌード」といった写真もあり、ちぐはぐで見るものを困惑させてくれます。大正時代には既に海女はシャツを着ろと指導があったとありますが、地域によっては観光資源として彼女たちの裸を見せることにも寛容だったようです。素潜りには水の抵抗がないに越したことはないので、彼女たちはいわゆる「磯パンツ」と呼ばれる、立体裁断のピッタリとしたパンツを履いています。要はビキニでトップレス。経緯を想像すると、ははあと思えてくる構成なのです。まあこれが正しいのか分かりませんが。「007は2度死ぬ」(1967)に出てくるボンドガール浜美枝がなぜ海女なのか、ずっと違和感を持っていたんですが、ああ、このトライブ感が根底にあったのかと今更ながら腑に落ちた次第です。